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禅の言葉 軸の言葉

 茶道の精神的な柱は、なんと言っても「禅」です。茶室に懸けられる「軸」には、「禅」からの言葉が良く見かけられます。

このコーナーでは、「禅」の言葉を取り上げてみんなでかんがてゆきたいと思います。

「啐啄の機」(そったくのき)

「我逢人」(がほうじん)

 道元禅師は、中国で念願の師と出逢った時を「まのあたり先師をみる。これ人にあうなり」と言う言葉にしました。

 自分だけで考えて、独りよがりの自分だけで行動していたのではみつからないことがある。我を捨てて学ぼうとする時にその人に逢った。それが師である。

 その人の成長の程度、そういう心を持っている時、その時期が来ないと成立がしない人間関係があるものです。

 この言葉は、「啐啄の機」とあわせて考えれば、よく分かります。

表千家八代家元「 件翁宗左 啐啄斎」のお名前の中に「啐啄」と言う言葉が見受けられます。

雛(ひな)が孵えろうとする時,雛が内からつつくのを「啐」,

母鳥が外からつつくのを「啄」、と言います。

  ①禅において,師家と修行者との呼吸がぴったり合うこと。

    機が熟して弟子が悟りを開こうとしている時にいう。

  ②得難い良い時機。[句]啐啄同時

本人がわかろうとしない時に、親や先生がいくらアドバイスしても効果は薄いのです。

そのタイミングは人生にいくらでもあるのですが、「啐啄の機」は得がたいものです。

我、人と逢うなり

「守破離」(しゅはり)

 「守破離」とは、高坂弾正昌信の「甲陽軍鑑」に記された兵法用語である。この段を千利休が詠み、『道』の指針となったということですが・・・。
 「守」は師の教えを守り、ひたすら完成された型・基礎を寸分違わず身につけることであり、  

 「破」は経験と鍛錬を積み重ね、旧来の型を基礎として独自の世界を創り出すことであり、
 「離」はこれまでの型にとらわれず、自由に飛躍するも則を外れない境地にいたることである。

 

 「啐啄の機」「我逢人」「守破離」この3つの言葉は、出会いの重要さとタイミング、そして、習う事の段階をあらわしていて、関連した非常に大事な事だと思います。

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