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3月(弥生)
茶室の障子にうつる日ざしに、かすかに春の訪れを感じる二月の初めには、敷松葉をすっぽり覆うほどの積雪に見舞われることがしばしばあります。余寒厳しく、身の引き締まる厳寒と呼ぶにふさわしい頃です。雪の降りしきる不審 庵は深閑と静まり、雪による新たな路地の景観を作り出します。
釜に湯のたぎる音、そしてサラサラと露地の葉にかかる雪の音を耳に、一服の茶をいただき、心静かに古書をひもとき、茶の湯の先人達の深い心を訪ねるにふさわしい清閑の時です。
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3月弥生

3月弥生
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利休祥月命日
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堺の納屋衆言われた富豪、田中与兵衛のもとに生まれた千利休は、幼名を与四郎といい、初め北向道陳に師事し、東山流書院台子の茶法を習い、次いで道陳を通じて19歳の時に武野紹鴎に入門、師とともに茶道の和様化に努め、草庵の茶を完成するに至った。また南宗寺の大林宗套、笑嶺宗訴に参禅帰依し、後年信長、秀吉に茶頭として仕え、侘び茶を大成した。天下一の茶の湯者と呼ばれ、朝廷から居士号を賜り、政治外交、軍事の中枢に関与するほどになったが、大徳寺山門を増築寄進した際に、自己の木像を山門に置いたことなどが、秀吉の怒りにふれ、説服を命じられ、天正19年2月28日自刃し、利休70年の生涯を閉じた。
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雪の不審庵露地

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松風楼懸釜
