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歳時記 4月(卯月)

 花咲き乱れ、木々が芽吹き、自然の豊かさが身にしみるこの季節は、庭も青みを増し、茶室の戸障子を開けて明るい日差しをとり入れたくなります。炉の火を少なく、少量の熱気で湯のたぎる裏甲釜や、小ぶりの釣り釜を使います。 

 釣り釜、旅箪笥は野点を思わせ、水ぬるむ頃、新しい水をとり込むと言う意味で、大きな壺方の水指を炉のそばに置くと言う、炉の終わりに近いころの趣向です。

瀬戸染付大壺

 (吸江斎紀州公拝領)

 水ぬるむ頃、春の水を豊にとり込むという意味で、大きな壺方の水指を炉のそばに置き、盆を伏せて蓋にする盆蓋が使われます。

 

二条城・観桜茶会(清流園)

 徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営した二条城での観桜茶会。

 ふだんは入れない庭園”清流園“の桜の下で、お茶席三席、点心席が設けられます(晴天の場合野点席もあり)。

裏靠釜(うらごうがま)

 宗旦好

 炉の火を少なく、少量の熱気で湯のたぎるので、この季節に使われます。靠(ごう)は寄せかけるという意味で、取手を釜に寄せかけておくからの名と言われている。

‘ごう’の字がむずかしいので、多くの場合‘甲’の字があてられている。
 銅と底の部分に段があり、裏の取手は鉄の舌のような形をした物が二枚あり、これを両脇の裏へ差し込んで透木釜に使用し、取れば普通の五徳据えの釜になる。

四ツ頭茶礼(建仁寺)

  栄西禅師 開山

 四ツ頭茶会(よつがしらちゃかい)は、茶道の原形とされる古式にのっとった禅宗式の茶会。「四ツ頭茶礼」とも。

 室町時代に、延暦寺の学僧 玄慧法印(げんえほういん)が茶礼のことを記した「喫茶往来」にのっとり行われる日本最古の茶法といわれる。

 四頭は、中国の禅寺の接客形式。4人の正客(頭)が、各8人の相伴客を連れて席に入る。

 献香が焚かれ茶室の広間の四方に座った客の前に、4人の供給僧が抹茶の粉が入った天目茶碗と菓子盆が配られる。 給仕役の別の4人の僧が、茶筅(ちゃせん)と浄瓶(じんびん)を持って入り、順に、天目茶碗に湯を注いでお茶が点てられる。

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